答えは誰も知らない。
何のために生まれてきたのかも、何のために生きているのかも
そんなものはないのか。ないと自由すぎて分からなくなるから、あった方が楽だと探してはみるけど、どこにもない。
誰も知っていない。
もしあったとしても、それはとてつもなく曖昧なものだろう。
言語化できない、する必要がない、ただ自分だけの感覚として。
幸福感とは何だろう?
富・名声・結婚・美貌?
これだけではないよな〜。とは思いながらも、でもこれになってしまわないか?とも思ってしまう。
これらは全て人と比べる事や、人と共有することで成立するものだ。
確かに、自分1人では絶対に生きてはいけない。
喜びも悲しみも、経験もそこにはいろんな人が介在する。
そして他人と関わる上では、上の4つのような項目は確かに重要なポイントになる。
しかし、他人と関わることでの幸福感ももちろんだが、
自分の事を全て理解してもらって関わることは不可能だ。それは相手のことを全て理解することも不可能であるように。
そうなったら、確実に自分だけの世界というものがあるはずだ。
そこには、他人は絶対に入ることができなくて、誰かと比べる事も共有する事もできない。自分だけの世界。
その世界を持っていることをちゃんと自分で認識していることがまずは重要で、
その世界をいろんな経験をしていくと共に少しずつ充実させていくことが自分の幸福感を満たしてくれることなのかもしれない。
生まれた時代も違えば、地域や環境も違う。
持って生まれた肉体や身体の機能も人それぞれ。
家柄も違えば、育った環境、関わった人も千差万別だ。
それぞれがそれぞれの世界を生きてきたし、これからも続いていく。
全てに物語がある。
そしてみんな絶対に自分だけの世界を持っている。
そういう自分だけの世界を持っている人同士が、この現実の世界で関わる瞬間。
そしてそれがどういう科学反応を起こすのか。
それが起きるのはすぐかもしれないし、何年後かもしれない。
『お金や容姿・名声』そういう他者と関わる上で生まれる幸福感は、崩れ落ちる事もある。だから崩れ落ちたくないという想いも同時に乗っかる。
途中から、崩れない為に生きていくフェーズにもなってくる。そこに執着しすぎると誰の人生か分からなくなって彷徨う。
そしてこれは時代でも変化する。
『誰とも共有しなくて本当に自分だけの世界』に関しては、なくなることはない。
いろんな経験をすればするほどに深まっていく。そしてこの領域に環境は関係ない。どこでどういようと自分はそこにいる。
その自分が感じている事がある。その世界を濃くしていく。自分の納得のいくものにしていく。
結果論でしかないが、そうやってたら勝手に生き生きして魅力が溢れてくるのかもしれない。あくまで結果的にだが。
誰からも理解されない世界を持っていてもいい。自分だけにしか分からない世界を充実させていく。
善くも悪くもそんな世界にこれから急加速していくと感じる。
正解のない世界。一人一人が自分で彩っていく世界。
厳しくもあるが、創造的な世界に。